2014年10月16日木曜日

Blog Action Day Inequality 〜不平等について考える〜

Chowpatty Inequality

2年ぶりのBlog Action Day。ちょっと書くのが遅れましたが、(日付を改竄して)ザザッと書きます。

不平等=悪なのか?
不平等という表現に、なにやらネガティブなイメージを持ちますが、個人的には、
  • 平等であるべきものは機会であり、結果が不平等になることは受け入れなければならない
と思っております。というか完全に結果が平等(同じ)になるのは不自然ですし、そんな世の中は受け入れられないと思います。というか、結果が不平等になる可能性があるからこそ、人は日々努力するのではないでしょうか。

不平等な結果を生み出すもの
不平等な結果を生み出すものは主に
  • 個人の能力
  • 環境
でしょう。後者は実はなかなか手のつけようのないものですね。金持ちの家に産まれたら裕福だし、貧乏だったら、、、と、実は人は産まれながらに不平等な存在であると言うことができます。しかし、貧乏だったら一生貧乏か、、、というとそんなことはない。努力すればという条件付きですが、金持ちになるチャンス(機会)が人生には転がっているわけです。それに気付くかどうかで結果は変わってくるでしょう。
もちろん努力しても挽回不可能なこともあります。 今、紛争に巻き込まれている子供達は、そこから逃げ出すこともできず日々の生活に精一杯。明日には死んでいるかもしれない。国家間の争いなどは子供の力ではどうしようもない問題なわけです。つまり彼らは平和な社会に生きる機会を与えられていないと言えます。

機会平等な世の中を作るには
まさにこれが人間社会の目指すべき終着点になるわけですが、ただ「機会」と「結果」の切り分けがなかなか難しいんですよね。例えば、就活等で「学歴フィルター」みたいなものがあるわけですが、これは機会が与えられていないといえるのか、「学歴」という結果によるものなのか、、、この辺りの判断を見誤ると不幸なことになります。少なくとも歳をとったら、自分の今いる境遇・環境や自分自身の現状は自分の生きてきた結果であり、言い訳をしてはいけないでしょう。
個人的には、「若者にとって機会平等な世の中」を目指すのが大切なんだと思います。人には年を重ねるごとに結果も伴っていきます。夢を語れるのは若者のうち、、と言いますが、まさにそれは機会が与えらているということ。私達は、「若者の機会を奪わないような環境」を作り上げていかなければならないでしょう。私も子育てをする際、「親の役割は子供に多様な選択肢を与えられる「環境」を用意することであり、どれを選ぶかは子供に任せる」ということを意識しています。

自分らしさを見つける
とまあ、いろいろ書きましたが、自分でもなんか厳しいこと言ってるな〜って気がします。人は生まれながらに不平等(同一の環境ではない)なわけで、スタートラインが異なることは多々あります。ある意味、「環境」は自身でコントロールできないわけですから、その不平等さに気づくことは少なくないでしょう。
しかし、それに不平不満を言うのではなく、与えられた環境でどう生きるかが重要だと思います。いわゆる「ないものねだり」をやめる。そういうところで戦っても精神的にもきついですしね。自分の能力や環境を理解し、受け入れ、その中で最善の生き方をする。いわゆる自分らしさですね。。。そういうのを見つけて自分らしくいきるってのがいいんじゃないかなぁ。。

と、なんか「不平等」とは関係ない話になっちゃいましたね。皆さんはどうお考えでしょうか?

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